選挙に行くことは政治の「穢れ」を祓うこと
よく言われる若者をZ世代と考えるとすると社会におけるZ世代の役割はなんだろうか
世界的に見るとZ世代は社会や経済を動かす中心となる世代になり注目されている
一方、日本では少子化の影響もあり人口比率は低く政治にも無関心だと言われている
本当に無関心なのだろうか。良い仕事に就くために行った学校の費用を奨学金というローンを背負ったまま働く先は平成の間、賃金が変わらないままの社会。
真面目に働いても半分を税金などで引かれ、物価も上がり使えるお金は限られる。自殺や病氣になる若者も増え、出生数も減っておりネガティブなところをみると絶望的だと思える。
そんな社会に対しての怒りや不満は少なからずあるだろう。だから、そのような生活が政治と結びつく実感がないから動かないだけであり、この世代が行動するということは希望が根底にはある。
Z世代とはデジタルネイティブと呼ばれ、物心がついた頃からデジタル機器に触れSNSで情報を取ることが当たり前となっている。そのため情報感度は高く選び取る力もある。タイパやコスパというように効率や合理性を重視しつつ、本質やその意味を大事にすることや、多様性を受け入れ価値観の押し付けに敏感である。
このような感覚は神道的な価値観から見ても近しいところがある。この世代の決断とは「大きな声」ではなく、自分の”空氣”と”感性”に耳を澄ませるようなもの。
Z世代の行動にはこれまでの常識や価値観では受け入れられないところもあるが、ブラック労働からの離脱、多様性の尊重、自分らしいキャリアなどという「何かを変えたい」という意志が宿っている。
これまでの古い体質や余計なものを穢れとするとZ世代は現代の役割は現代の祓い人とも言えるのではないだろうか。
Z世代が行動することへの希望は、社会を清め、整え、次の世代へと繋ぐ本来の「まつりごと」となっていく。
政治とは「共に祓い、共に祈る」こと
『政治と若者と神道』
